みなさまこんにちは!地球のしごと大學卒業生インタビューチームです!

 

「地域に興味はあるが踏み出せていない」「何から手をつければいいか分からない」というモヤモヤした思いに答えるべく、延べ500名超の卒業生の中から、卒業後のリアルな姿のインタビューを定期的にご紹介していきます!自分ごととして考えるきっかけとなるよう、同じ目線での思いや体験をたくさんご紹介していきます!

 

初回となる今回は、教養学部4期卒業生の青木慎二さんにお話を伺いました。2018年12月に東京から島根県出雲市へ家族で移住したという青木さん。もともと田舎から早く脱出したくて東京にやってきたとのことですが、移住に至るまでにはどのような心境や環境の変化があったのでしょうか。

 

青木慎二さん
2017年 地球のしごと大學教養学部(第4期)受講

埼玉県熊谷市出身

2018年12月 家族(奥様、子ども二人)と奥様の実家のある島根県出雲市へ移住

青木さんはIターン、奥様はUターン

現在は、奥様の実家の庭に建てた家にお住まい

単身赴任的に東京と島根を行き来する生活

東京では広告プロモーションの企画制作

(有名ブランドの屋外広告やプロジェクションマッピングの企画立案~実行するお仕事)。

2019年3月 個人事業を法人化(キノトマ合同会社を設立)

2020年3月 自宅兼キノトマパン工房が完成(菓子製造業取得)。奥様が中心となって活動中。

https://instagram.com/kinoto_ma

新しいローカリズムの価値観に触れる

Q.地球のしごと大學を知ったきっかけは何ですか?

地球のしごと大學を受講する以前にも、しまコトアカデミーや地域共創カレッジ(現・さとのば大学)に通っていました。

 

実際にフィールドワークを重ねて、ローカルヒーローと呼ばれるような地域で活躍されている方のお話を伺っていると、自分のこれまでの価値観って古いんだなと感じることが多々ありました。

 

僕が小中学校の頃の教育といえば根性論が基本で、僕自身風邪をひいた時は地を這ってでも学校に通い、皆勤賞を目指していましたし、最初に就職した会社も歩合制でゴリゴリ営業していく、今だとブラック企業と呼ばれかねないような所でした。

 

地方が良いとも全く思っておらず、むしろ逆。埼玉の熊谷出身なのですが、田舎から早く抜け出したくて、東京に出てきました。

 

ですので、受講していた講座を通して、地方や田舎の新しい価値観に触れた時はとても新鮮な気持ちでしたし、もっとローカリズム的な価値観をインプットしたいという想いが湧いてきました。

 

実際にいつ地球のしごと大學を知ったのかはあまり覚えていないのですが、そのような経緯の中でアンテナを張っていたので、自然と見つけられたのかもしれません。

 

前の自宅の近くにあったリトルトーキョーにもよく通っていて、たしか地球のしごと大學が一度イベントをやっていたような気がします。その際、しまコトアカデミーや地域共創カレッジと同じように、新しいローカルな価値観を学べる講座として、初めて認識したような覚えがあります。

 

ただ記憶が定かでないので、もしかしたらネットか何かで見つけただけかもしれません(笑)。

 

あ、ちなみに今でも東京は大好きですよ。匿名性があって、エンタメに溢れてて。

慎重な性格から、なかなか踏み出せなかった地方移住

Q.地方移住に踏み出したきっかけは何ですか?

地方移住をしたというと、メディアで取り上げられるような理想のスローライフをさらっと実現させた先輩のように思われる方もいるかもしれませんが、実際は全然そんな感じではないんです。

 

何年もどうしようか悩んで計画を練るばかりの時期があって、実際の行動にはなかなか踏み出せずにいました。

 

ただ、自分が石橋を叩いて渡れないタイプだとは自覚していたので、あえて周囲に島根に行こうと思っている、ということは話すようにしていました。

 

それでもなかなか移住しないので、リトルトーキョーの方にも、「島根行く行く詐欺の人」として認識されるようになったほどです(笑)。

 

それでも最後は子どもへの負担が少ない時期を見計って、何年の何月に引越ししよう、という期限だけを決めました。全然計画は立っていなかったので、勝手にスケジュールのお尻を引いたようなイメージですね。

Q.なぜ移住先を島根に決めたのでしょうか?

島根に引越した一番の理由は、妻の実家があることでした。

 

僕自身は埼玉の出身ですが、島根の方が新たな発見があるんじゃないか、という期待もありました。

その他細かいことを言えばキリがないですが、自分の親兄弟の置かれている状況や、子どもの教育の問題ももちろん関係はしてきますね。

Q.ご家族の反応はどうでしたか?

妻はもともと移住に肯定的だったので、大賛成でした。

 

子どもも当時は小学生の低学年と幼稚園児で、お盆や正月には何度か島根で過ごす時間があり、島根っていいよね、という雰囲気はできていたので、特に大きな問題はありませんでした。

やっぱり大事な稼ぎと利便性

Q.移住に当たって、お仕事はどうされましたか?

もともと個人事業主だったので、会社関係のしがらみなどはありませんでした。

 

ただ、稼ぎは東京の案件が全てでしたので、継続して東京の案件をこなすか、島根で仕事を作るかを考えた時、経済的な事情を考慮すると、現実的に東京の案件を続けることになった、という次第です。今でも東京の仕事を続けています。

Q.今お住まいの場所はどのようなところですか?

典型的な地方都市です。イオンも市役所も徒歩5分のような街中に住んでいます。

 

もちろん里山の風景の中で畑を耕して暮らす、という生活に憧れを抱いて、山の方の古民家なんかも見て回りましたが、改築費用や子どもの学校のこと、利便性などを考えると、最終的には出雲市の街中に住むという選択になりました。

 

妻の実家に住民票を移しただけ、というような感覚で居ますので、Iターン・Uターンとか、地方移住とか、そういった言葉も自分ではあまり使わないようにしています。

Q.移住前と移住後で、生活はどう変わりましたか?

もともと仕事人間で、今も東京の案件に注力しているので、仕事のリズムという意味では、さほど変化はないかもしれません。

 

ですが、やっぱり東京の狭いマンションに居るよりも、パン工房のある現在の自宅の方が快適なのは間違いないです。コロナ禍の時でも、大都市の混乱と比べると申し訳ないくらい、自宅でくつろいでいました。

 

しかし、自分の性格上、もはや病気みたいなものだと思うのですが、常にお金の心配は尽きません。

 

今の自宅兼パン工房も、もともとあった物置小屋を取り壊して、その上に新築で建てているので、もちろんローンもありますし。今後何年かけて返すのか、そのためには稼ぎが……と延々と考えてしまいますね。

なので、時々サウナに行ったり瞑想したりして、心を無にすることで、余計なことを考えない癖をつけるようなこともしています(笑)。

 

一方で、妻は本当に幸せなライフスタイルを実現できているなと思います。パンを焼いたり、発酵食品を作ったり、自分の趣味が人に評価されて、まだまだ少ないながら稼ぎにも繋がっていますので。

Q.正直、移住してどうでしたか?

家が新しくなって、妻も活き活きしていて、良かったと思う反面、このままでいいのか、と思う部分も正直あります。

 

僕自身は東京の仕事をやっている以上、単身赴任のような形で都心部に滞在することも多いので、家族と過ごす時間が少なくなってしまうのが課題です。

 

実はコロナがきたタイミングで、1~2ヶ月ほど島根の自宅に居られることになって、これで東京の仕事も無くなるだろうし、島根で新しい仕事を見つけようと一瞬思ったこともありました。ただ入りたい会社に出会うこともできず、ここならまだいいかも、と思った所も収入的にはかなり落ちてしまう……そうこう悩んでいるうちに、東京で大きな案件が決まって、元の生活に戻っています。

 

また自分の性格が出てしまっていますが、東京の仕事もやりがいがあって、ありがたいことにしっかり稼げるのがある意味もどかしいところです。

 

子どもに将来やりたいことができて、まとまったお金が必要になったときに、力になってやれないのはどうなのか……とも思ってしまいますね。その一方で、子どもと一緒にゆっくり暮らすために我が家を建てたのに、なんでまだ東京の狭い一室で仕事してるんだろう?という気持ちになることもあります。

地方の自宅でパン屋を開く

Q.地方でパン屋を開こうと思った理由は何ですか?

パン屋さんって忙しいけど儲からないというイメージがあって、実際に計算してみても、これはなかなか厳しいな、というのが僕の中での結論でした。

 

イニシャルコスト・ランニングコストを気にせず、自宅で好きな時にパンを焼ける環境が一番良いな、ということで、今のスタイルを選んでいます。

 

なので、一般的なかっちりしたパン屋としてお店を出しているわけではなく、名前も「キノトマ」という自分で作ったワードを掲げてやっています。妻も、近所の方からは「キノトマさん」と呼ばれています。

Q.「キノトマ」はどんな意味の言葉ですか?

僕が造ったのですが、十干、いわゆる甲乙丙……の「乙(キノト)」と「間(マ)」を組み合わせた言葉です。

 

「乙(おつ)だねー」なんてよく言いますが、一番より二番の方が乙だ、っていう見方が好きなんです。僕自身、昔から2番手のような立ち位置になる事が多くて、ボスのサポート役みたいな感じで仕事をすることが向いているようです。

 

「間」はそのままですね。人と人との「間」、時と時の「間」、「あいだ」や「ま」の価値を大事にしたいなと思って。あとは検索する上で探しやすいとか、読みやすいとか、音の響きとか、そういうのを総合的に考えた結果、カタカナの「キノトマ」になりました。

 

ちなみに右上のマークは、酵母菌をイメージしています。

Q.今後の展望を聞かせてください。

今後は島根に居ながらできる東京の仕事を増やせないかな、と思っています。ただ現状調べた限りでは厳しそうなので、実際は僕自身が稼ぎに対する執着をある程度割り切れた時に、島根での仕事に軸足を移ることになる気がしています。

 

僕の仕事は広告業なので、どうしても流行に乗っていく必要があります。今でもTikTokなんかも観ながらなんとか頑張ってはいますが、年齢的にもトレンドを掴む感覚が鈍ってくるので、同じことをしている限りは、今後10年20年と続けていける見込みはありません。反対に、妻のキノトマの仕事は今後もずっとやっていけますし、年数を重ねていけば、やがてパン作りの先生と呼ばれるような存在になれるのでは、と考えています。

 

現状は全然儲かってはいませんが、やりたいことをやって、周囲の人にも喜んでもらえているので、それはそれで幸せなことだな、と考えています。稼ぎとしては、僕の東京の仕事でトントンにしているような感じです。

 

今後は今の形を継続していくために、キノトマ単体でどうキャッシュを回していくか、ということも考えていかないとですね。僕はついついスケールしたい、なんて思っちゃいますが、それだけだと本来の開業目的を失ってしまう可能性もあるので。

 

マルシェ出店などの活動をしていく中で、どのようなモノを売って、どういう売り方をすれば、お客さんに喜んでもらえるのかが少しずつ分かってきたので、自分の広告業の経験も活かしつつ、自分たちに合った形で次の展開を模索していきたいと思います。

 

青木家の大黒柱としての役割を、徐々に妻に移譲していく作戦ですね(笑)。

カテゴライズできない、それぞれの地方移住の形

Q.最後に移住を検討されている方にメッセージをお願いします。

メディアなどでも、二拠点居住、地方移住、田園回帰といった素敵なキーワードが並んでいますが、そのようなカテゴリーには収まらない、個別の事情というのはどうしても出てくるものです。僕のように、単に妻の実家へ引越すという形も、そのような定形外の移住の例だと思っています。

 

やはり地方移住の先輩個人の声だけだと、個別の事情に寄りすぎてしまうので、色んな方の言葉をいいとこ取りして、自分の中に落とし込んでいく作業は必要になるかと思います。

 

自分で考える材料を見つけられた、という意味では、東京に居た時から講座やフィールドワークを通して、ローカリズムの実践者の生の声を聴けたことはとても大きかったです。

 

いきなり全てを捨てて飛び込むのではなく、他の方の経験をもとに、自分にできること・できないことをしっかり棚卸しして、現実的な一歩目を考える機会を設けてみてはいかがでしょうか。

編集後記

今回のインタビューで改めて感じたのは、地方移住に決まった形はないということでした。自分を取り巻く環境からなかなか一歩を踏み出せず、移住の成功事例を探して右往左往されている方も多いと聞きます。実際に前に進むには、単にモデルケースを探すのではなく、様々な事例から、自分に必要なエッセンスを抜き出してくることが大切かもしれませんね。

コロナ禍で東京から地方へ伺うことが難しい昨今ですが、キノトマのパン、そのうちぜひ食べに行きたいと思います。

末尾になりましたが、インタビュアー素人のたどたどしい質問にも、的確にありのままお答えいただいた青木さん、ありがとうございました!

【参照サイト】 キノトマ 

【参照サイト】 キノトマECサイト 

 

(インタビュー・編集)

教養学部卒業生(第5期) 藤﨑翔太郎

広島県出身。地球のしごと大學教養学部第5期及び循環農業学部第3期卒業。世代を越えて愛される人柄の持ち主。密かに「地球のしごと大学シネマ部」の名前を借りて、映画のイベントも数回開催。地方でローカルなスナックに行くことが愉しみ。瀬戸内海が好き。

 

(サポート)NPO地球のしごと大學事務局 石井祐輔